コザ・那覇二つの戦争の面影を追って(那覇)
7時のNHKニュースでは、ベトナム戦争の戦況が連日報じられていた。
1960年代前半の少年漫画のヒーロは、旧日本海軍の潜水艦であり、戦闘機であり、軍艦であり、上等兵だった。そして子供心に戦争はカッコイイものだとメディアを通じて植え付けられていた。
そのような土壌で育った少年は、初めて戦闘場面をリアルタイムで身近に感じることができるようになったベトナム戦争に対し、ことのほか深い思い入れがある。
大学のゼミの教授が、同級だった沖縄県出身のTに対して「Tさんのおじいさんさんやおばあさんたちには申し訳ないことをしました。」と、コンパの時に何度か頭を下げる場面があった。
沖縄を日本の砦とする作戦を直接練った当事者だからなのか、あるいは沖縄を救えなかったことを悔いているのか、その辺は知る由もなかったが、一方的に謝罪している姿が印象的だった。
急きょ初夏の沖縄に飛び、1940年代と60年~70年代の沖縄の戦争の片鱗に触れてきた。
◎旧海軍司令部壕
那覇バスターミナルから10分
その後徒歩30分
バスを降りて道が分からない。
しかし、引き込まれるように薄暗い歩行者用のトンネルをめざす。
ハブに脅えながら海軍壕公園を行く。
蓋つきのゴミ箱に荒天時の沖縄を想像する。
小高い丘を登り切り、ビジターセンターに到着。
大田實司令官の電文
前略・中略
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
入場券を買っていよいよ入壕する。
懸念した気温、湿度とも不快ということはなく、むしろ心地良いくらいである。
壕内は、薄暗い通路が無数に張り巡らされ、迷路のようだ。
手彫りの痕跡が確認できる
手榴弾で自決した時の破片のあとがくっきりと残る幕僚室
自決を英訳する際に、suicide(自殺)を使うことに文化の違いを感じた。
当時の壕内は電化されていたことが分かるが、これは主に照明と無線用だった。
正面非常口から突撃を開始した兵隊たちは、二度とこの壕には戻ってこなかったという。
前出大田實司令官の電文
前略・中略・現代文訳
「沖縄県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。」
後にこの司令官室で拳銃自殺をした大田司令官の願いは、いまだ叶えられていない。
by sekaihahiroi | 2012-04-17 14:33 | 国内旅行